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2006/12/17//Sun.
言葉の不思議
世の中には数多くの単語が存在している。その数は僕のようなハナ垂れ小僧には知る由もないほど莫大なものだ。

この「言葉」たちは、それぞれ思うことあって命名されたのであろうが、今現在、普通に使われている言葉は大抵、大昔に定められたものである。僕たちはそれを当たり前のように受け入れ、また、何の疑問も持たずに使うのである。

たとえば、「愛」という言葉がある。

この「愛」、とても素晴しい言葉だと僕は思う。何より響きが良い。「あい」である。聞いているだけで体の芯が溶けてしまいそうな、何とも面映い響きがそこにはある。いつの時代、どこの誰が作った言葉かは知らないが、僕たちは「愛」という言葉を定めた人に感謝すべきである。

皆にも少し考えて欲しい。
もし「あい」という言葉が「まい」だったらどうであろう。

ここで誤解して欲しくないのは、「まい」という言葉も素晴しいものだと僕は思っている。女の子の名前としての「まい」は可愛らしく、「舞い」という字を当てても風情があってなかなかよろしい。

だが、僕は重ねて言うが、「あい」は「まい」じゃなくてよかったと思う。

例えば僕が結婚を考えている彼女とデートをしたとする――
洒落たイタリアンレストランだ。店内からはライトアップされた街並みと海が一望できる。テーブルマナーのテの字も心得ていない僕は、馴れない手つきで料理を口にする。普段のデートといえば牛丼屋なのに、突然このような店に連れ出した僕に対し、彼女は戸惑いを隠せない表情をしている。

そう、僕は今日プロポーズをするのだ。

食事を終えたところで、ワインに口をつける彼女。僕はそれどころではない。なにせ、一世一代の大仕事が控えているのだ。緊張を吹き飛ばすようにワイングラスを一気に空にする僕。そんな僕の様子を見て、さすがに彼女も感づいてくる。もしかして、もしかするの――

僕は意を決した。

「なあ、花子(仮名)」
「なあに、キムラさん」
「あの、その……」
「……」


「まいしてる。結婚してくれ」


これだとなんだか、しまりがないような気がするのは僕だけであろうか。僕には相手方の女性がワインを鼻から噴き出すところまで想像できた。もちろん、結婚の話は破談だ。

とても長い前フリになってしまったが、言葉というのはちょっと変えるだけで、やけに奇妙なものになってしまうのだ。

それはもちろん、僕らには「愛」という既存概念があるからそうであって、最初から「あい」が「まい」であったら、それほど違和感はないのかもしれない。それでも僕は、もうひとつ考えてみたのである。

「番長」という言葉がある。

僕が番長と聞いて思い出すのは「球界の番長」こと清原和博である。

ご存知、彼は日本プロ野球界で番長と呼ばれている人だ。生き様、存在感、威圧感、どれをとっても「番長」と呼ばれるにふさわしい人間だ。

だが「ばんちょう」という言葉を少しだけ変えてみるとどうだろう。








「球界のパンチョ」








威厳とか、いろいろなくなった。








濁点が半濁点になって、寸詰まりになるだけでこれだけ違うのだ。というようにくだらない事を考えていたわけだが、なんだかとても自分が馬鹿なように思えてきた。夜中の3時である。さっさと寝ろという話だ。

ここで人は僕のことを「ばか野郎」と罵るはずなのだが、これも濁点を半濁点にして寸詰まりにしてみよう。





「ぱかやろ」





これだったら、なんだか自分がお茶目な人間に思えるのだった。





 



結局何が言いたかったのかというと、特に言いたいことなどはないのだ。
2006/11/05//Sun.
○○の秋
夏の暑さもどこへやら、季節はすっかり秋である。いや、もうむしろ冬なのであろうか。とりあえず夜風の冷たさが哀愁を漂わせている今日この頃、皆様はどのようにお過ごしだろうか。

秋といえば、○○の秋、という言葉が使われる。食欲の秋、読書の秋、運動の秋、などなど。要するに、何をするにしても秋という季節は最適なんだよ、ということである。僕も秋という季節は好きなため(自分の誕生日もあるし)、そらへんに異存はない。

だがしかし、だ。

実際には、一般的にいわれているよりも数多くの「○○の秋」が存在するのではないか――? 本当は闇に埋もれている言葉があるのではないのか――? 


そこで僕は、少しだけ秋について少し考えてみることにした。
よろしければ、皆様にも一緒に考えてもらいたい。







性欲の秋(Autumn of sexual desire)







この性欲については、僕たち人間という生き物は年中夢求で営業中なので、一概にそうとは言い切れないのだが、厚生省の統計上、興味深い結果が出ている。


(中略)月別にみると、出生月による差はほとんどないものの、7~9月に高く3月が低い傾向がみられた。こちらが元サイト

子供が産まれるは受精から十月十日(とつきとおか)と言われている。およそ十ヶ月、母の胎内で成長するのだ。

ようするに夏時期に出生率が高いということは、だ。
逆算してみるとどうなるのか、ということはだ。






仕込みは秋(making of child is autumn)





ということになる。



学校や職場で言いふらしてください。





「馬鹿」って言われるから。









 




2006/10/29//Sun.
ハッピーバースディ自分
ちょうど先週あたり、僕はめでたく21歳になった。しかし実際のところ、21歳の誕生日はとりわけ特徴のないものだったりする。ここ最近の僕の誕生日事情を振り返ってみる。

19歳のころは、「10代最後の誕生日だね~!」で大盛り上がり。
20歳のころは、「これで未成年卒業だね~!」で大盛り上がり。

しかし、21歳はどうであろうか。特筆すべき点はないし、なにより、「おれ、ハタチなんすよ」といえなくなるのが面倒だ。

さらに、である。

誕生日当日、僕がしていたことと言えば



パワプロで能力オールの選手を作っていた、



ということである。



チームメイトの矢部くんも

yabe.jpg

「びっくりでやんす!」


である。



まあ、そんなことはどうでもいいので本題に入ろう。


僕には年上の相方(仮に嫁子さんとする)がいるのだが、今日はそのお話。

________________

僕の誕生日が近くなってくると嫁子さんがしきりに聞いてきた。
「誕生日、なんか欲しいモノある?あたしサプライズとかして失敗するの嫌だから、欲しいモノ教えろ」
「ニンテンドーD……」
「ダメ」

というわけで財布を買ってもらうことになったのだが、この財布、ニンテンドーDSよりも値が張るものだった。しかも嫁子さん、最近は金欠だそうだ。

悩んだ嫁子さんが僕に相談してきた。



「お金貸して」




本末転倒――




結局僕は融資をしなかったのだが、お目当ての財布は手に入ったようだった。どこで工面したかを訊ねるのはさすがに野暮なものだと思ったので聞かなかったが、

「メイショウサムソン、負けちゃったね!」

と嬉しそうに言っていたのが気になるところだ。


その財布に加えて、気に入ったポストカードも見つけたというので、それも合わせてプレゼントしてくれた。

そのポストカードに書いてあった文字。


Hava a rocki'n birthday


どんな誕生日じゃっ。



その隅に一言添えられていた言葉。



061029_2040~01.jpg






「祝」の字、間違ってる――
(しかも年齢も一回間違えたっぽい)


本人曰く



「いやあ、いつものクセで」





もっとダメだ――




そんなこんなで、21歳になりました。
皆さん、これからもよろしくお願いします。


 


ちょっとコメント返せません、でも見てます。
ありがとうございまっす
2006/10/14//Sat.
おならとぼく
最近、どうにもこうにもお腹――もとい、腸内環境――の調子が良好だ。いや、最近、というのは語弊がある。ずっと、ずっと昔からそうだった。小さな頃から、他人よりもプリプリしていたのだ。

___________________

思い起こすこと14年前――僕がピカピカツルツルの7歳児だった頃の話だ。小学校低学年といえば「おなら・う○ち」が絶対的にタブーな世界である。大便の個室に入り込んだところを見られようものなら、次の休み時間には「う○こ大使」というあだ名が付けられることは必至だ。

そんなご時勢に、僕は、教室内に響き渡るほどのアヴァンギャルドな放屁をしてしまった。もちろん顔から火が出るほど、いや、むしろ、顔から屁が出るほど恥ずかしかったことは言うまでもない。僕はクラス替えをするまで「おなら大使」の冠を得るという、末代まで伝えられるであろう生き恥を経験した。

しかし、そんなおなら大使にも転機が訪れた。中学生の頃だ。

僕は両親の仕事の関係で、転校を繰り返す少年だった。転校というものは、何度経験しても慣れないものだ。特に、初対面では稀代のシャイボーイになってしまう僕の場合は殊更だ。案の定、中学生という多感な時期に転校してきた僕は、既に所々に形成しつつあるグループの輪に入り込めずにいた。

そんな僕を救ってくれたのが――おならだった。

英語の時間だった。突然教師に指された僕は、授業を上の空で聞いたこともあり、全く答えることが出来なかった。素直に「わかりません」と言ってしまえば良いものの、ただ呆然と立ち尽くしていた。必至に思考を巡らした結果、僕の出した答えは――




教室内に響きわたる放屁だった。




もちろん顔から火が出るほど、いや、むしろ、顔から屁が出るほど恥ずかしかったことは言うまでもない。いいさ、何とでも言うがよい。おなら大使、再び降臨だ。

だが、僕を待っていたものは、罵声でも気まずい雰囲気でもなく――
教室内に響き渡る、割れんばかりの爆笑だった。

その放屁により話題が出来た僕は、着々と友人が出来ていった。そして、事あるごとに授業中に放屁しては、クラスメイトから笑いを頂戴していた。

僕のおならは、立派な武器になった。

___________________


このように、僕には涙なしでは語れないおならヒストリーがあるのだが、

僕はこの出来事を、






人生を変えた一発






として、後世まで伝えようと思っている。



あなたにもありますか? 人生を変えた一発が。



 

久しぶりの更新が、何だか臭いそうな更新だ。
2006/08/11//Fri.
幻想的な世界
人はいつでも、非日常的な世界に憧れるものだ。

車や人ごみ、排気ガスに騒音。これが現在の日本のリアルであり、日常である。それが普通なものであるがゆえ、自分の心が荒んでいることさえ気付かなかったりする。

星野道夫という人がいる。

アラスカという大自然に魅入られ、その生涯をアラスカに捧げた人だ。

その彼がこの世を旅立ってから十年の月日が流れた。これを期に、彼が撮り続けた写真を集めた写真展が開かれることになった。僕はその写真展に足を運んだ@松屋銀座8F

そこに広がっていたのは、まさに非日常的な世界だった。

僕は写真についての知識を持っているわけではない。どのような技法を用いて撮られたかなど、知る由もない。ただ、幻想的な刹那を収めたその写真たちは、本当に素晴しいものだった。このような陳腐な言葉しか出てこないほど衝撃的なものばかりだった。荒んでいた心が洗われた気がした。

写真を無断転載することは恐らく違法にあたるので、差し控えておく。

写真展は今週いっぱい開かれているので、日常に疲れた方は足を運ぶとよいと思う。

ちなみに僕はTシャツに短パン、ビーチサンダルという格好で行ってしまったので、とても場違いな感じがしてしまった。


 


せめて長いズボンをはいて行けばよかった。

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